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現代看法は、「体用の理」とか「中和の理」を非常に大切にする学問であり、この「中和の理」から遠ざかれば遠ざかるほど、人間の運勢にひずみが生じ、それが性格のひずみになって現われたり、あるいは生活上の具体的な問題となって現われたりします。
天にあっては、気象状態が中和の理をはずれますと、しぜん大雨や大雪となって異常気象を呈し自然災害等をもたらします。
よくよく考えてみますと、私たちが今現在、このように生きていますのも、それぞれの人が中和の理に適ったからであります。
我々は母の胎内の羊水の中で、適度な温熱を得て生まれてきたものですが、羊水は「水」であり、温熱は「火」であり、その「水」と「火」の微妙なバランスの状態が保たれたからこそ、この世に生を受けたものです。
もし、羊水の「水」のエネルギーが強すぎますと、母の胎内は冷たくなって胎児は死んでしまいますし、あるいは、母の体熱で象徴される「火」のエネルギーが強すぎますと羊水(水)は干上がって、同様に胎児は死んでしまいます。
このように何気なく見過ごしているところにも、中和の理は厳然と作用しています。
また、人間は「小宇宙」であるとか、「宇宙の落とし子」であるとか、あるいは「宇宙を凝縮したものである」などと、言われますが、これは天地の徳をすべて受徳して存在するから言われるものでありまして、人間は、天の理念(父の精水を象徴)が地(母)に降して、そして地の蔵干(母の胎内)から生まれたものであります。
ですから、われわれ人間の体型もよく見ますと、人間の手足は四方に散じて東西南北(地は方位をあらわします)を指しており、頭は天球を象徴して手足の上に存在します。まさしく、地の上に天を戴く人間は、天地の徳を受けているからでありまして、この姿をしているのは二足歩行します人間だけです。このゆえをもって人間は万物の霊長とも言われています。
さらに天地の徳は、われわれがほぼ10ヶ月間母の胎内で健やかに育っている時に、毎月巡ってきます10個の天干を体験しており、十干の徳はみなだれしも生まれた時から備わっています。
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