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■ 年支の「申」、月支の「酉」、日支の「戌」、時支の「戌」が西方合の金局
をなし、秀気が辛に集まっていると見ます。
格式名は、『月支につらなり西方合して印綬局を成す』と言います。
◇ 地支方合の場合には、帝旺の五行(辛)を、方合している年支、月
支、日支、時支に記載し、蔵干の通変星は帝旺の星の蔵干のところにだ
け記載すると良いです。
(上記の表を参考にしてください。)
◇ 地支が方合しても、十二運星に変化はありませんので、年から沐浴、
長生、冠帯、冠帯になります。
■ 日干の壬と年上の丁(正財)が干合している。
◇ およそ男女とも年上の正財と日干が干合するのは、多くは父祖の金銭
資産を受け継ぐ可能性があると見ます。
他の兄弟が親の遺産を受け継ぐよりは可能性が大きいと言えます。
◇ ただ、遺産相続できたとしても、それがこの人にとって良い影響を与える
かどうかは別の見方をします。
もし、日干が弱いと判断されるような人なら、親から遺産相続をしたため、
その遺産の運営とか維持に自分の精力を費やし、身が痩せ細るような思
いをすることもあります。
したがって、日干が年上の正財と干合し、かつ親の財産を受けることが厚
いとしても、それで逆に自分が苦労を強いられるか、苦しみが増すなら、
その場合の年上の財は忌神ということになります。
このような財なら、干合しないほうが良いこともあります。
干合することは自分と財とのつながりが、一生を通じて続くということを意味
しますので、害は深いと見ます。
■ 空亡は子・丑ですが、ありません。
(1)通変星ではどうか。(日干のエネルギーの40%) |
◇ 印綬局をなし、そのうえ時上に偏印があるため、相当強いと見なければ
なりませんが、これだけで印星が太過したとはみず、非常に強力であると
見ます。
地支が申酉戌の西方合すると、印綬が地支に4個あるとは見ず、団結
して1個の印綬が純粋に強いとみますが、この場合、時上に偏印がある
ため、やや偏印化して相当強いと考えられます。
ただ、比肩や劫財があって自我が強いわけではないので、人に頼る気持
ちが強く、利己的な強さであります。
◇ 日干が「壬日」の秋の「申月」生まれで、進気となりやや強いです。
(3)十二運はどうか。(日干のエネルギーの20%) |
◇ 日支と時支に冠帯があり、年支に沐浴、月支に長生があって、強いと
見ます。
◇ 年支は沐浴で普通程度の強さでありますが、たとえ帝旺や建禄があっ
ても、あまり当てにできず、重要視する必要はありません。
年支は果物でいうなら、表皮に該当するようなところです。
【十二運についての考察】
十二運は植物の根になぞらえるので、月日時に冠帯、建禄、帝旺
などがあって傷がなければ相当強いと見ます。
・ 男性なら、月日時に強い根が二つ程度あればよく、女性であれ
ば、反対に月日時に強い根がないのが良いです。
傷がつくとは、地支七冲か空亡するようなことを指します。
・ 根が強いと生活力が旺盛であるとか、意志が強固であるとか、自
我が強いと言えます。
強い根としては、長生、冠帯、建禄、帝旺が言われていますが、や
や自我の強さに違いがあります。
・ 長生は、少し気の弱さを秘め、成熟した強さではありません。
・ 建禄は、人で言えば中年期を迎え、人生は自分の思い通りには
ならず、それを幾度となく経験して角が取れ、そこから思いやりや愛
情や包容力がでて、どっしりと落ち着いた風格と強さがあります。
・ 冠帯は、衣冠束帯の意で、男子が15歳で元服する姿をいうと
ころから、意気盛んで将来の希望に燃え、我こそ天下取りをするの
だとの大きな夢を抱く年齢を意味します。このため、自我が相当強
いです。
・ 帝旺は、人生の最盛期を迎えて、後は衰えていくしかないという
状態ですので、充実と自信とうぬぼれと慢心とおごりというものを秘
めた勢いがある反面、生命力がすでにこれから傾く寸前でもありま
す。 |
(4)五行表ではどうか。(日干のエネルギーの20%) |
◇ 日干の水が1個で、その日干を生じる金が3個とその金を生じる土が
3個あって、ちょっと歪な五行の状態であります。
◇ 日干の水の1個を3個の金が生じ、相生状態が多すぎる形態になっ
ており、これを日干に対する過生扶の状態といいます。赤ん坊のミルクの
飲み過ぎのような状態で偏旺ともいいます。
【(1)から(4)までの総合評価】
総合評価しますと、印綬局のエネルギーが強く、また、地支に強い
根もあるため、日干は相当強いと判断できます。
ただ、日干が強いとは言っても、その強さは本質的には印綬の強さ
にほとんど起因しますので、人物診断においては、そのあたりの状況
に重点を置いた解釈になろうかと思います。 |
上記の日干のエネルギーのところですでに説明しましたように、この印綬は
局をなしていることと、時上の偏印を見て透出しているような状態で、そのう
え、月上の偏官からエネルギーの補給も受けこの印綬も相当強いと認定で
きます。
■ このように日干および用神とも、これぐらい強くなりますと、年上の正財は
非常に良好な役割を果たすこととなりますが、それでも大きな期待は禁物で
あります。
◇ 天干は軽く地支は重い
年月は軽く日時は重い
とする原則からいえば、年上の丁(正財)は弱いことと、この丁を支える食
神も傷官もありません。
確かに、この正財は、偏旺気味の印綬を弱め、結果的に日干も弱めること
となって良い働きをしているのは間違いないのですが、なにぶん正財そのもの
が弱いのが残念です。
◇ ただ、一つ良いのは、この正財が日干と干合して、日干との結びつきを
強め、劫財がきても、この正財をやっつけることができないことです。
■ それでは、月上の偏官は軽いポジションにあるとはいえ、強い日干を弱め
る作用をするので、良い働きをしているのではないかと思われるかもしれませ
んが、そうはいきません。
◇ 理由としては、偏官は日干を剋す前に、強い印綬を生じてしまい、日
干を剋す余力はありません。
かえって、印綬にエネルギーを吸収され、骨抜きになっているということで
す。ですから、印綬を強めるだけの忌神の働きといえます。
具体的な人物診断については、講義用ソフトを見ていただきたいと思いま
すが、ここでは、亀石先生が、人物診断の見方のポイントについて、ある書
籍で明快で当を得た説明をされていますので、みなさま方にとって、今後、
大変参考になるものと思い、該当箇所を原文のまま披露させていただきま
す。
【以下、原文】
■ カルテをどういうふうに見るのか。これはたいへん難しい。
■ 人の顔にたとえるなら、一つ一つの部品を見て、眉毛と目とのあい
だにホクロがあるとか、世間でいわれる福耳だとか、眉毛のあいだが開
きすぎて、スケベーな感じがするとか、口が大きいとか小さいとか、鼻が
上向いているとか下向いているとかいうように、一つ一つ見ていくと、そ
れなりのことがあるかもしれないが、初対面の人に会った時にそういう
見方をするか。
そうではなかろう。
その人の全体から受ける感じに、まず重きをおくだろう。
■ 中国のことわざに「銖銖(しゅしゅ)で測れば石(せき)にいたって
かならずたがう」とある。
一寸(いっすん)(約30cm)の長さを銖銖という。
その一寸の長さを測る物差しで百尺(約30m)の長さを測り終
えたときには、全体で10パーセントも20パーセントも誤差が出る。
百尺の長さを測ろうと思えば、すくなくとも十尺(約3m)くらいの物
差しで測る必要がある。
なのに 一寸の物差しでどうして百尺のものが測れるのか。
これをもって「銖銖(しゅしゅ)で測れば石(せき)にいたってかなら
ずたがう」という。
■ いま一つ。「毛をつつしんで貌(かたち)を失う」ともある。
これは人間の顔かたちを描こうとして髪の毛を1本1本、ていねいに
描くことから始めたら、かならず化け物のような顔になる。
これを「毛をつつしんで貌(かたち)を失う」という。
だから人間の顔を描こうと思ったら、画用紙の真ん中に顔の輪郭を最
初に描く必要がある。
■ カルテをみると、だれでも、それなりの様相を持っている。
それは全体から受ける印象をパッと感じる、これがカルテを見る最大の
コツ。
だから年上の正財と干合しているから財があるなあとか、印綬局を成
しているから、親縁が厚いなあとか言えても、それなら、その人物はどん
な人かと問うと、それがわからないようでは確かな分析はできない。
■ 眼光紙背に徹する。つまり書かれた奥に何がひそんでいるのか。
むしろその裏こそ大事。これには細かなところには目もくれず、大局を
見る姿勢が必要。そういった見方をするなら、そこにひそむ一つの人格
が明らかに出てくる。
それがその人の本質にひめられた先天福分。しかし、これも合理的な
分析のうえに立ったものでなければダメ。
■ 年上に正財があるから資産家の生まれ、年上の正財が干合してい
るから親の遺産はもらえる。
年支に酉がでているから「あわてん坊」、月上に偏官が出ると第一子
は男児などと、新入会の人は何を読み、何を聞いてきたのか知らない
が、いわゆる平面的なことばかりが頭にこびりつき、肝心かなめの、な
らば、「その人はどうなんだ」・・・・・・というとサッパリわからない。
そのようなカルテの解説の仕方ではけっして人間の本質はとらえられな
い。
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